益田 ますだ
基本情報
備考
路線バス 益田駅前(石見交通株式会社)
近隣の観光スポット
[益田市]大喜庵
雪舟が晩年を過し東光寺が焼失した跡地に建てられたお寺です。 当時は吉田平野をこえて日本海を望む様子が、中国の洞庭(どうてい)・瀟湘(しょうしょう)の景をそのまま眼下に展開させる趣があり、その風景を雪舟が好んだことと、戦乱の世にありながら益田領が「弓の音聞かぬ国、鞆の音聞かぬ国」としての平和郷であったことが、雪舟にこの地を選ばせたと思われています。 清水を湛えた霊巌泉は、硯や茶の水に使ったともいわれています。雪舟の墓(市指定文化財)は裏の墓所にあります。
[益田市]医光寺(崇観寺)
臨済宗東福寺派のお寺ですが、もとは天台宗崇観寺の塔頭でした。崇観寺は1363年に創建され、足利将軍の台翰(手紙)をもって住職を任命したほどの格式のある大伽藍でした。益田兼見は本尊の釈迦如来坐像作成の大檀那(スポンサー)となっています。
文明年間(1469〜1486)第七代住職雪舟はこの崇観寺の塔頭のひとつに庭園を残しました。その後、崇観寺は 衰退していき、17代益田宗兼によって医光寺が開基しました。
医光寺の雪舟庭園は国史蹟および名勝に指定されており、 池泉鑑賞半回遊式の庭園で、鶴池に亀島を配置した吉祥の庭となっています。
毎年3月半ばには枝垂れ桜が華やぎを添え、5月には一面のツツジ、夏は緑が涼しく、秋には大きな楓が赤く染まっています。国指定史跡及び名勝、国登録文化財、県指定有形文化財。
[益田市]萬福寺
時宗益田道場として平安時代に建立され、当初は安福寺と号し益田川河口付近にありました。しかし大津波で流出していまい、後の1319年、游行4代呑海上人が再興しました。1374年には益田七尾城11代城主が現在の地に移築して萬福寺と改称、益田家の菩提寺と定められました。
その後、1479年に15代城主益田兼堯が歌聖・雪舟を招き、石庭を造らせました。1866年長州征伐益田口戦争の際には、幕府軍の陣営となり総門は焼失しましたが、本堂や庫裏はそのまま残っています。鎌倉時代の建築様式の本堂(重要文化財)、雪舟が築いた庭園(史跡及び名勝)、仏教の教えを表す「二河白道図」(重要文化財)、南蛮貿易によりもたらされた「華南三彩壺」など、中世益田文化を代表する文化財が集まる寺院です。国重要文化財、国指定名跡及び名勝。