萬福寺
時宗益田道場として平安時代に建立され、当初は安福寺と号し益田川河口付近にありました。しかし大津波で流出していまい、後の1319年、游行4代呑海上人が再興しました。1374年には益田七尾城11代城主が現在の地に移築して萬福寺と改称、益田家の菩提寺と定められました。
その後、1479年に15代城主益田兼堯が歌聖・雪舟を招き、石庭を造らせました。1866年長州征伐益田口戦争の際には、幕府軍の陣営となり総門は焼失しましたが、本堂や庫裏はそのまま残っています。鎌倉時代の建築様式の本堂(重要文化財)、雪舟が築いた庭園(史跡及び名勝)、仏教の教えを表す「二河白道図」(重要文化財)、南蛮貿易によりもたらされた「華南三彩壺」など、中世益田文化を代表する文化財が集まる寺院です。国重要文化財、国指定名跡及び名勝。